しじまのこえ

元とある宗教2世の奮闘記

鯉のぼりを見て憂鬱な小学生。

どうも、しじまです。

 GWも、もう終わり。ただ家でのんびりしてただけなのにあっという間ですね。しじまは家族でのんびり家で過ごすのも良いな、幸せだな〜と感じております。

5月5日は子供の日、子供の成長を願って鯉のぼりを飾ってお祝いする日です。今年は見れませんでしたが、大きな公園などに多くの鯉のぼりが飾ってあったりして風になびく姿はとても綺麗でいいですよね。

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でも、小学生の頃は鯉のぼりを見るのが憂鬱でした。なぜなら、家でやっていた宗教のためほとんどの祝日を祝うことを禁じられていたからです。

鯉のぼりを作ったりすることもダメでした。 一年生の時知らずに学校で作ってきて、母親に得意げに見せた時にこっぴどく叱られて捨てられたのを覚えています。 なんでこんなの作ってきたの?

異教のものはダメじゃない! と。

 

小学校に入ると信仰上の理由でできません、というのがたくさんあります。 誕生日会、クリスマス会、七夕、夏祭り、委員会の投票などなど。 なんか他にも色々あった気がする。

できない行事が近づいてくると、担任の先生に説明するんですけど、すごく緊張したな。。

ほとんどの先生は、うん、わかったよ。って言ってくれて、理解してくれました。高学年の時の担任は、それはしじまくんの気持ちなの?ほんとは皆と同じようにやりたいんじゃないの?と詰められてとてもドギマギしたのを覚えてます。 ほんと図星でみんなと同じようにやって、クリスマス会の時にひとり違う教室で終わるのを待っていたり、盆踊りの練習を教室の片隅で見ていたりなんてしたくなかった。みんなと同じようにフツーの学校生活を送りたかった。。

 

小学生の頃の自分のモチベーションというか、なんでそこまで頑なに皆と違うことするという選択ができたのかな?と思うことがあるのですが、やはり親に褒められたい ただそれだけなのかなと思います。信仰心なんてなかったと思います。親が喜ぶための選択をしまくってきたために2世は自己が確立できなくていい歳で悩むそんな気がしています。

 

私も宗教を辞める=親から離れるでしたので、それから10年あまりでやっとアイデンティティーを見つけた。いや見つけてる最中wてな感じです。

 

現在は、一年の祝日を家族で一緒に祝えていることが本当に幸せ。 誕生日を祝ったり祝ってもらったり(そんな歳じゃ無いけどw)当たり前のことが幸せです。

次回は、アイデンティもクソも無い思春期の話を書きたいと思います。

 

そういえば、5月9日は母の日。

子供たちと一緒に送る花選んで

お手紙書かないとね。